三宅コラム
三宅株式会社代表取締役社長 三宅 茂
『思いを伝える』
漱石に見る表現の複雑さ
「月が綺麗ですね」 英文を翻訳する際に、この素敵な表現をした作家がいる。
「坊ちゃん」「我が輩は猫である」の作者、夏目漱石だ。
では、なんという英文のフレーズが「月が綺麗ですね」と翻訳されたのか、想像してみてほしい。
「月が綺麗ですね」と翻訳した行動は、彼の作品における繊細な表現力と文化的な違いを反映したものと言える。漱石は日本文学の巨匠として知られる作家であり、その作品には深い洞察力や繊細な感性が光っている。彼がこのような翻訳を行った背景には、単なる言葉の意味を超えて文化や感情の響きを大切にする漱石独自の表現哲学があると言える。
漱石の小説にはしばしば日本の伝統文化や西洋文化の対比が描かれており、彼はその中で言語や文化の違いが持つ奥深さや複雑さを探求してきた。このようなテーマは、彼があるフレーズを「月が綺麗ですね」という日本的な表現に翻訳する理由にも影響を与えたと言える。彼は日本語と英語、東洋と西洋の文化的な違いを理解し、それらが持つ微妙なニュアンスを感じ取る能力に優れていたため、このようなアプローチに至ったのかもしれない。
答えを書こう。 漱石は「I love you」を「月が綺麗ですね」と翻訳したのだ。 この翻訳には、日本人が持つ繊細な感性や控えめな表現が反映されている。英語圏の文化では「I love you」というフレーズが恋愛や友情を表現する汎用的な言葉として一般的であるが、日本人が同じ感情を表現する際には、より控えめで微妙な表現が好まれる傾向がある。漱石はこの文化的背景を踏まえて、「アイラブユー」を「月が綺麗ですね」というより穏やかで繊細な日本語のフレーズに置き換えたのだろう。
また、漱石がこのような翻訳を行った動機には、言葉の持つ力や響きに対する彼の独自の見解が影響を与えている可能性もある。彼は言葉の暗示や諧謔を重視し、微妙な言葉の選び方によって読者に複数の意味や感情を引き出す手法を得意としていた。そのため、彼が「アイラブユー」を「月が綺麗ですね」という日本語の表現に置き換えることで、言葉の持つ異なる魅力や表現力を探求したのかもしれない。
この事例からも見えてくるのは、言語と文化の壁を超えて感情や思いを伝えることの難しさと複雑さである。漱石が「アイラブユー」という単純なフレーズを翻訳する際に、それが持つ豊かな意味や感情を最大限に引き出すために、自らの知識や感性を駆使して新たな表現を生み出そうと努めたことが窺える。このような探求心や表現力こそが、彼の文学作品が現代でも多くの人々に愛され続ける理由の一端であると言えるだろう。
最後に、夏目漱石の「アイラブユー」を「月が綺麗ですね」という翻訳は、言葉や文化の違いに対する洞察と感受性、そして独自の表現哲学が複雑に交錯した産物であるといえる。この行動を通じて、彼の作品に見られる繊細な表現力や文化的な違いを理解した姿勢が浮かび上がり、彼が持つ豊かな感性と言葉の魔法が一層際立つ。
彼の探究心や情熱が作品を通じて未来にも受け継がれ、その作品が今後も多くの人々に愛され続けることだろう。
ナラティブについて
現在、臨床心理や医療に限らず、ビジネスの場でもナラティブメソッドが注目されている。
ナラティブとは直訳すると「物語」という意味だ。 物語の筋書きや内容を指す「ストーリー」とは意味合いが異なり、ナラティブは私たちが一人ひとりが主体となって語る物語。
「ストーリー」は物語の筋書きや内容を指し、主人公や登場人物を中心に起承転結が展開されるため、聞き手はもちろん語り手も介在しない。一方「ナラティブ」は、語り手自身が紡いでいく物語とされている。主人公は語り手となる私たち自身であり、物語は変化し続け、終わりが存在しない。自分も新たな語り手となるナラティブは、物語をより自分事化することで、語り手の技術を越えた内なる感情を刺激します。
個人の尊厳は他社の尊厳でもある
ナラティブと個人の尊厳は、個人が自己を知り、成長し、尊重されることに深く関連している。 ナラティブは、人生や経験を語る力や物語の構築を指し、個人のアイデンティティや人間関係を形作る重要な要素になる。一方、個人の尊厳は、他者からの尊重や認識を受けられる権利であり、個人を唯一の存在として尊重することが重要となる。 個人の尊厳は、その人が他者と異なる個性や経験を持っていることを認め、尊重することから生まれるものだ。 ナラティブは、個人が自身の経験や信念を語ることで、他者に自己を理解してもらう手助けをする役割を果たすことになる。個人の尊厳を保護するためには、他者のナラティブを理解し、尊重することが必要だ。
個人の尊厳を尊重することは、他者との対話や協力を通じて人間関係を構築する上で重要な要素になる。
対話を求めるこれからの社会
これまで私たちは、さまざまな場面で一方通行のコミュニケーションを受け取ることがほとんどであった。しかし、多様化が加速し情報にあふれている現代、画一的なサービスでは成り立たない。人と同じではなく、自分が何を選択するかが重要視されるためだ。そうした時代背景から、ナラティブは求められるようになったのではないだろうか。
ナラティブを通じて個人の経験や感情を共有することで、他者との共感や理解が深まり、尊厳を確保することができる。個人の尊厳を尊重することは、人間関係の基盤を築く上で重要な役割を果たし、社会全体の調和と繁栄につながる。
個人の尊厳を尊重するためには、『他者のナラティブ』を聴くことや理解することが欠かせない。個人の経験や信念を尊重し、共感を示すことで、他者との尊厳を保護し、人間関係を深めていくことが可能となる。ナラティブと個人の尊厳は、お互いに密接な関係を持ちながら、個人と社会全体の発展に貢献する重要な概念と言える。
昔から「自利利他」という言葉があるが、すべてが繋がっているのだとつくづく思う。
地域との絆を育む
ときの森20周年を記念に、地域に役立つ場所をと、『かぜまちのにわ』プロジェクトを始動。
デイサービスでは高齢者の方々の居場所づくり、次いでTOKIOでは障害者の方々のための居場所づくりに取り組みながら、ずっと考えている事がありました。それは、子育てに悩むお母さん達の居場所をつくることです。その思いを胸に、これまでの経験を活かし新たなプロジェクトを始めました。
主にお母さん達の子育て支援を考えていますが、子どもたちがここで遊ぶ場所になればいいと思いますし、さらに幅広い用途に使える場所になれば、災害時の避難場所としても機能するでしょう。
かつて、港から始まる「風待ち」は、北前船などが港で休憩し、風待ちをしていました。帆船は風がないと進めないため、自然の力に左右されることがよくありました。そのため、自分たちの思い通りに物事が進まないときには、どうすればよいか悩む時があります。
現代社会では、忙しさや余裕の無さから待つことや、のんびりすることが難しい状況があります。ここでは悩みや苦しみを忘れ、自分を振り返り、新たな気づきを得ることができるでしょう。これは子育て中の母親だけでなく、様々な悩みを抱える人々にとって、有益な場所となればいいと思っています。そのような場所が人々の心に安らぎを与え、新たな可能性を見出す手助けとなることを願っています。
私たちは自然の力に身に委ねながらも、心に余裕を持ち、風待ちの時間を大切にしていきたいと考えています。このような意味合いを込めて「かぜまちのにわ」と命名しました。
この広場は誰のものでもない、利益追求の場所ではなく、安心してくつろげる場所であり、 0歳から100歳までのさまざまな人々が自然に集まり交流できる場所を目指しています。
また、こども図書館の併設も進めています。地域の皆さんからの本の寄付を通じて、地域の方々に楽しんでいただける場所を提供したいと考えます。
御所市においては、地域の活性化に向けた街づくりが順調に進んでおり、この広場もその一翼を担い、20年間この地域で活動をしてきた経験を活かし、地域の方々の役に立つ場所として、これからもさらに頑張っていきたいと考えています。
「かぜまちのにわ」が地域の皆さんにとって特別な場所になることを期待して・・・